youtube見ないとご飯食べないなら見せていいってby専門家の記事を書いたときに、考えていたことです。YouTubeを見ながらのご飯は行儀が悪いのか?テレビはよくてユーチューブはダメなのか?
かなり深いトコまで考えてる内容ですし、頭が固い内容です(笑)人によっては屁理屈と捉えられる内容となっています♪
YouTube見ながらご飯は行儀悪い?たぶん85%が礼儀なってない
お行儀って、礼儀のことだそうです。辞書で検索したら出てきました。ってことは、何かへの礼儀ってことですよね。
果たして、普段食事をする人の中で、どのくらいの人が礼儀を意識して食事と向き合っているのか…。
もっと言うと、何に対しての礼儀ですか?を明確に答えられなければ「YouTube見ながらご飯は行儀悪い」という言葉は、意味がないように感じます。そんな空っぽな礼儀なんて、形だけだと思うからです。
そう思うと、たぶん自給自足系の人でない限り、礼儀を意識しながらご飯を食べている人はあまり多くないような気がします。
なので、85%くらいは礼儀を意識していない=お行儀悪いとなりそうです(笑)
「YouTube見ながらご飯は行儀悪い」の「行儀」って?礼儀はナニに尽くすもの?
- 礼儀のことだそうです
では何に対する礼儀なのか?私の考えは以下です。
- 目の前にささげられた命への礼儀
- 作ってくれた人(生産者)に対してのマナー
- 番外編【家族間のコミュニケーションがという反論】
上記あたりかなと。ちょっと、それぞれに自分の考えを巡らせてみます。
目の前にささげられた命への礼儀を示すなら、黙食が一番
だとしたら最適なのは、一番の礼儀は、黙食。しかもひたすら目の前の食事にたいして感謝しながらの食事。
お行儀をいいだすひとのうち、まるで最後の晩餐並みに、毎食祈りを捧げている人はどれほどいるのかなぁって思いますね。
極端な例だと言う人もいると思います。
「いただきます」「ごちそうさまでした」の挨拶が、命への感謝という人もいますよね。挨拶だけで済むのであれば、「動画みながらご飯」問題にお行儀は持ち出せないと思うのですよね。気持ちなのではないでしょうかね重要なのは。
作ってくれた人に対してのマナーを持ち出すなら、国や人によってマナーが違うので「YouTubeを見ながら食事は行儀悪い」と言えないかも
国によっても、人によってもマナーは違いますからね。お墓の前ではワイワイしてほしいこれから天へ旅立つ人もいれば、逆もいます。
日本ではキレイに食べるのが、お行儀のよいこととされていますが、中国では、むしろ机を汚して帰るくらいが良いマナーとされているのだとか。
中国での考え方は、仲睦まじく和気あいあいとしながらご飯を食べた証が、机の上がよごれている状態なんだそうです。
なので、日本のようにキレイに食べ過ぎてしまうと「なんだ、あんまりおいしくなかった?楽しくなかった?」となるそうです。
※今現在の中国のことはわかりません。あくまで話を聞いた当時のことです。
ここから思うのは、以下です。
- マナーはかわる
- 作り手を思いやる気持ちはもちろん大事
- だけど、それをお行儀やマナーという言葉で強要するのはどうなんだろう
上記のように考えさせられました。
なんとなくですが、食べる人を思って純粋に「おいしく食事してくれればそれでいい」という気持ちがうかがえるのは、中国の考え方なんです、わたしは。
※日本の作り手(お母さんや、お店のひとなど)が押しつけがましいとか、食べる人の気持ちを考えていないとか、そういうことを言っているわけではありません。
※作ってくれた人に感謝の必要がない、といっているわけでもありません
YouTubeを見ながらご飯だと、家族間のコミュニケーションがなくなる?そんな家族間のほうが危うい
「YouTubeをみていたら、家族間のコミュニケーションがとれないだろう」といい出す人も恐らくいますよね。
これも個人的にしっくりきません。
というのも、食事時に家族間のコミュニケーションを重要視するほど、普段からコミュニケーションをとれない環境のほうが改善の余地アリな気がします。
屁理屈って思われちゃいますかね(笑)
日本は家族間のコミュニケーションを大事にしていない
私が思うのは、「コミュニケーションをもちだすほど、日本は家族間のコミュニケーションを大事にしていない」ということです。
欧米のように、アフターファイブを家族の時間として積極的に過ごすわけでもないし、そのために仕事のやり方を見直すわけでもない。(もちろん、社会的にそうなので仕方ない節はありますが、あまり努力している印象もないです)
また、フランス人?のように食事に1~2時間かけてトークを楽しむなんてこともしていないでしょう。
私が食事に1時間かかっていたら「まだ食べているのかい?」といわれたりしたものです。
そもそも食事に1時間かけれるような時間的余裕もないですよね。
私はもともと食事に時間がかかるタイプだったので、(一口がちいさいのと咀嚼多めなため)学生のときから苦労しました。早く食べれるように、量を減らしたり。
何が言いたいかというと、この日本にうまれて「食事時に家族間のコミュニケーション」云々をもちだすのは、ちょっとちがうというか、「いや、やることやってねーだろぉ」と思わざるをえないのです。
その言葉をいえるのは、普段から家族間のコミュニケーションを大切にしている人だけです。日本で少ないのは明白。
「YouTubeを見ながらご飯は行儀悪い」のような”正しそうに見えるような言葉”で相手を縛っている
「YouTubeをみてほしくない」ということを言いたいがために、(そういうご飯形態を認めたくないがために)
- 目の前にささげられた命への礼儀
- 作ってくれた人に対してのマナー
- 家族間のコミュニケーション
上記のような、一見すると正しそうに見えるような言葉で相手を縛るのはどうかと思うのです。
※ご飯時にYouTubeをみることに賛成しているわけではないのですが、否定するだけの主張もまたありません。フラットにかんがえたらやっぱり、YouTubeをみながらのご飯の行儀の悪さについて、ダメだという説明ができないという結論にいたりました。
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