妊娠7ヶ月目にして、疎遠だった祖母がなくなったため創価学会の友人葬に出席しました。
これからどなたかの創価学会方式の葬式に出席する方にむけて、私の体験談を書いていきます。
参考になれば幸いです。
- 祖父祖母父が創価学会
- 父は幼い頃に親が入会させた
- 母方と弟、わたし、旦那は非会員
- 創価学会の友人葬の流れ
- 創価学会の友人葬と他の葬式との違い
- 創価学会の友人葬の体験談
創価学会の葬式の流れ
通夜
告別式、火葬
流れ的にはそんなに変わっていないかもしれません。
場合によっては、湯灌(故人の体を洗い清める→化粧をすること)などもあります。
友人葬だと喪主の要望が強く反映されるので、とつぜん時間の繰上げなどがあります。
数珠や他の持ち物の整理をしてすぐに取り出せるようにしてから、臨んだ方がいいです。
【体験談】創価学会の葬式で感じたおかしい点
わたしの祖父もだいぶ変わっているので、創価学会の友人葬は全部こんな感じだと言う風には捉えないでください。
湯灌の動画撮っちゃったよ
納棺師が体を洗って死に化粧をほどこす湯灌(わたしの場合は古式湯灌?らしい)の最中に、祖父が動画を撮ってたんですよね。
納棺師の方から「最後なので、写真におさめる方もいますよ」というお話があり、てっきり写真に残すのかと思いきや
ピコンっ♪
旦那・私(動画撮っちゃったよーー!?)
祖父「なかなかない機会なので…」
これは、祖父がちょっと変わっているからでしょう。
ちなみに、納棺師の方はああ言っていましたが、写真に残さない方がいいようです。
- 便所姿を撮られていることと同じ
- 写真が故人の魂をその場に固定してしまう
- 写真が未練につながる
通夜の夕飯はひどかった
- 夕飯出すタイミングがおかしい
- ほぼ残飯
1については、やわらぎ斎場の葬式を利用した体験記事をお読みください。
2については創価学会の人というよりは、個人のモラルの問題じゃないかなと思います。
通夜が終わって、私たち夫婦と私の両親は一旦部屋に戻って支度をしたあとに食事に向かいました。
*私たち夫婦は帰宅するため、着替えをしに。時間は15分程度。
2つ長テーブルがあって、それぞれに大きな食事が3つ乗っています。
他の親族は奥のテーブルに座っているので、我々と両親は手前のテーブルへ。
寿司6巻しか残っていない。
他のも少しつまんであって。
「そっちは、もう終わったものだから」と親族のうちの一人が笑ってこちらに言った。
図にするとこんな感じ。
他の親族は第1テーブルでほとんど食べ尽くした後、第2テーブルに移動して残りを食べた。(ビュッフェスタイルではありません)
私たちと両親で4人。
到底たりない食事量。
ちなみに、喪主である祖父も一緒になって食い荒らしていました。
私たちのことをあまり良くは思っていないようなので、まぁわかりますが。
母も旦那も言っていましたが、
全員そろうの待ってから、食事するのが普通なのではないでしょうか。
ましてや、葬儀に参加したのは私たちを含めても10人にも満たないのに。
そんなこんなで夕飯は酷かったです。
故人より個人の話かよ
喪主や施主を含め、近い親族は悲しみに暮れているというのに、後方では笑い声が。
しかも、個人の自慢話しや武勇伝などの伝説ばかり。
悲嘆に暮れるよりも、笑いで見送ってあげたいという声もあると思いますし、それもいいと思います。
ですが、故人のことを考えて思い出話で盛り上がる
──というわけではなかったので、少し非常識に感じましたね。
ちなみに、他の親族は夫婦で来ており、どちらかあるいは両方ともが創価学会会員です。
友人葬とは、まごころであり、気持ちで弔うというニュアンスらしいのですが、少々外れた言動ではないかと感じました。
これも、会員というよりモラルの問題かもしれませんが。
故人の前で人の悪口
喪主とわたしの母方の祖父とは折り合いが悪いです。
お通夜の時に皆んなが寝静まった後にそれは起こったそうですが…
故人が横たわる前で、喪主が母方の祖父の悪口を自分の兄弟に言っていたということです。
寝ている私の母が、途中で目を覚ました時に聞いたそうです。
わたしも目の前で悪口を言われていた
親戚と喪主が喋っていたのを、目の前で耳にしたのですが…
親戚「あちらは、誰ですか?」
喪主(祖父)「息子の娘だよ。(孫ってことです)」
喪主(祖父)「孫なのに会いにも来やしない」
こんなようなことを、聞こえていないと思ったのか目の前で言っていました。
さいごなんだから、故人をしっかり主役にさせてあげたいものです。
悪口なら葬儀が終わった後にいくらでもいえるのに。
遺影が全然違う
会場を間違えたかと思ったほど、遺影と故人の顔が全然違いました。
後から小耳に挟みましたが、喪主が意図してやったわけではなく、斎場がこんな風によこしてきたということなので、詳細は斎場レビューでお話しします。
私情を挟みすぎ
祖父が幼稚なのか、創価学会会員にそういう人が多いのかわかりませんが、私情を挟みすぎだなと思いました。
友人葬で香典いらないのは、一部だけ?
公式ホームページでは、友人葬では香典は受け取らないことが多い…となっていました。
実際、母曰く、喪主(祖父)が受付にも香典は受け取らなくていいと指示していたらしいですが…
受付がポンコツだったのか(エピソードあり)、祖父が折れたのかは定かじゃありませんが、自分が嫌いな人の香典以外は全て受け取っていましたぜ。
受け取った香典
- 会場にきた創価学会会員
- 私たち夫婦、私の両親
受け取らなかった香典
- 母方の祖父母
母から聞いた話だと、香典の受け取りを断ったのは母方の祖父母にだけのようです。
後述しますが、喪主(祖父)は故人の姉妹のことも好いていません。式にもきていないので、当然香典は受け取らずに済みます。
故人の姉妹を呼ばない
友人葬で身内だけで行うと話を聞いていた割に、参列者は喪主(祖父)の身内と創価学会の人間だけ。
祖母は7人姉妹って聞いていたはずなのに、誰一人として参列していないのです。
嫌いだからという理由で、おそらく故人の姉妹は呼ばれていません。
入院の時も、他の姉妹に連絡をとらずに祖母に怒られたらしいのです。
別の親族が亡くなった際には、火葬まで済ませた後に私の両親に連絡をよこしたくらいです。
最後の最後に自分の姉妹に会えなかった祖母が不憫でなりません。
他の姉妹たちも、まだ祖母が生きていると思って暮らしていると思うと、こんな罪深いことはないと思います。
施主が消える
施主は私の父なんですが…
さすが喪主と施主。
親子だなと思いました。
「あの空間にいたくない」という理由から、親族の中に私たち夫婦だけ残して消えました。
喪主は連絡事項など伝えないので役に立ちません。

旦那は遠い土地から来た人間で、ある意味で私の住んでいるところとは文化が異なります。同じ日本ではありますが。
旦那にも気を遣わせてしまいました。
私は切迫早産で安静を言い渡されている妊婦です。
- 他の人も気を使う
- とりあえず、必要以外動けない
- 施主のメンツが潰れる
なので、動きたくても動けない状況。
でも弁当が足りなくなったり、時間の繰上げがあったりと変更点がでてくる。
施主がいないので、私がやりました。
喪主はその場にいましたが、人の悪口を言うのに忙しいようで。
私情を挟みすぎ。
受付がグダグダ
ポンコツでした。
比較的、年齢が高めの方だったのですが、「これが斎場のマナーですか?」という感じです。
こちらは、創価学会というよりも斎場の話になると思うので、やわらぎ斎場を利用してみたという記事に書きます。
やわらぎ斎場を検討している方がいたら、読んでみてください。
参列する方も。
【気持ち悪い?】創価学会の葬式は異様で不気味と感じる理由
初めての人からすると、ビックリする点を書いていきますね。
創価学会会員はお経を唱える
さらりと父に聞いた話なので今は違うかもしれないし、間違っているかもしれませんが幼少期から毎朝お経をあげていたとのこと。
なので、創価学会会員は問答無用でお経を唱えることができます。
通夜、告別式でいきなり参列者からお経が聞こえますが、「創価学会の人間なんだなぁ」という程度です。
他の人のブログを見たりすると、
- いきなり隣からお経が聞こえた。
- みんなでお経を唱えているのが気持ち悪い。
という声が多かったのですが、
別に気持ち悪くは感じませんね。
ひたすら、南無妙法蓮華経
後半は、ひたすら南無妙法蓮華経しか言いません。
おそらく何回唱えるとか、ここは唱えないとか決まっているのだと思います。
全員が一斉に唱え出したかと思ったら、ピタリと綺麗に止まり御堂師だけ唱えたりとしていたので。
ちなみに母曰く、創価学会の結婚式でもお経を唱えるそうですよ。
さすがに結婚式はなぁ〜って感じ。
お経って、葬式というイメージが強いから。
坊さんではなく、御堂師
袈裟を着た坊主はいません。
ハゲてもいません。
喪服姿の白髪の方(御堂師と呼ぶらしい)が、坊主がわりにお経を読みます。
この御堂師は、少し格が高いのかな?
それでいて、故人と多少繋がりがある人なのかな?(建前的な意味で)
そんな印象でした。
本当にお経よんで帰るだけだったので。
説法ではなく、創価学会の正式さを説く
お経を一通り読み終えた後、坊主の説法のようなものがだいたいはあると思います。
創価学会の友人葬でも、御堂師が一言話す機会があるのですが…
- 故人の功績
- 故人に称号を与える
- 来世だかあの世でも、布教に専念したまえ的なこと
- 友人葬はまごころ
- 経典には載っていないだの、釈尊はそんなこと言っていないだの
視点が創価学会寄りなものが多かったです。
特に、他の宗教・宗派でやっていることを持ち出して(名指しとかはしませんが)、
「経典には〇〇をやったとは書いておりませんので、〇〇は間違いであります。これが正しい追善供養です」的なことを言っておられましたなぁ。
- 最高のお経を読み、追善供養をした
- 「学会の〇〇会長?はこうも言っておられました」
- 「学会の〇〇会長?は故人を〇〇の地位に…」すいません、後半忘れました
こんなようなことを言ってました。
1番の主役である故人を押しのけて、学会の会長みたいな人が最高の位置付けとして出てきやがった。
仏様がいうならまだしも、亡くなったあとまで一人の人間が干渉してくんなやとは思いましたね。
創価学会が気持ち悪いとか、異様というのは偏見かな?
正直、創価学会だから…
というのはあんまりありませんでした。
みんなでお経唱えれるのなら、唱えてみんなで送り出してあげれるのもいいなと思いますしね。
どこの誰だか知らん坊主や御堂師とかよりも、知ってる人が唱えてくれていた方が私的には「へー、いつもふざけてたけど、真面目にお経読んでるよ我が弟よ」とかってなれるかなって。
*弟は非会員です。
国家斉唱と同じように歌っている人がいれば口パクの人もいる。
それと同じで、唱える人もいれば私や旦那みたいに唱えないひともいる。
(正確には唱えれないだけど)
- 唱えれるか唱えれないか?
- 唱えているのか?
- 誰が唱えるか?
ではないと思います。
気持ち、じゃないかなと。
唱えれても気持ちがなきゃ伝わんないし、唱えれなくても気持ちがあれば通じるのでは?と思ってます。
肉体から離れてしまった人には、もはや肉体同士のやりとりは通じないみたいな話を聞いたことがあります。
あちらが、精神のみになったなら、こちらも精神でやりとりすることになると。だから、葬式で思ったことは全て故人に筒抜けだと。
脱線しましたが、お経を唱えれるだけで気持ち悪い扱いは、そうする人こそ偏見と差別の眼差しで会員を見ているのでは?と思ってしまいます。
彼らは彼らのやり方で葬っただけ。
別に押し付けられたわけでもないし。
私は創価学会の友人葬にこそは参加したものの、お経を唱えることもしないし、よくわからんところで手を合わせることもしなかったです。
私には私が学んできた送り方があるので、形式には則りますがやり方は各々で良いという考えです。
坊主のお経ってそんなに重要?
坊主のお経じゃない!ということに、疑問を抱いている人も多いですが…
あくまで私の考えですよっ。↓



坊主のお経をあげて弔おうとしてくれる、その遺族の気持ちでなら天に上がれるかもしれません。
亡くなったからっていきなり悟れるわけでもないと思うんですよね。そんな状態でお経読まれても、「アーナンダ」とは「なんだ!?」って気になって仕方ない。
*アナンダとはブッタの弟子らしい。
見えもしない、意味だけわかってる坊主に読まれるお経より、私は弟のギターで眠りたいと思ってしまう。
*あくまで、わたしの考えです。
なので、たしかにびっくりするけど、坊主でも御堂師でもあんまり気にせず、自分の気持ちを故人に捧げることを優先に考えた方がいいと思います。
母親の中で一番印象に残っている葬式が、
シンバルのような、ドラのようなものを
バァーーん!
と叩く葬式です。
ある宗派が多いというだけで、他にも多数の葬式のやり方があります。
自分が見たことない式のやり方だからといって、異質や怖い、おかしいと思うのは子供のイジメに似たものを感じますね。
創価学会の葬式では怖い勧誘をされるの?
一切されなかったです。
もう、ほんと全く。
ただ、人数が多くなったりすると、そういう目的で紛れ込む会員もいるとは想定します。
まぁ、いやなら嫌で断ればいいのです。
断りにくい、というのは優先順位をハッキリさせていないから。
私はある真理教に間違って入信したことがありますが、途中で抜けてきました。それこそ、連絡を断つという強引な手段でしたが。
大丈夫です、生きている人間もそうでない人間も、まずは意思主張からです。
創価学会の葬式に出席するなら覚えておこう
香典の封筒
なんやら、香典の封筒にも種類があり、宗教によってはタブーな色合いのものもあるのだとか。
私が調べた限りだと、
キリスト教と浄土真宗だったかな?
どんな色合いのものかは忘れましたが、タブーなものがあると書いてましたね。
私のところは、創価学会でしたが煩くなさそうなので、別のお葬式で使った封筒の余りを使用しました。
香典の書き方もサラッと学んだ方がいいかもです。
私は勉強不足でした。
香典返しは受付でもらう
こちらでは一般的だったのですが、旦那が驚いていたので一応書いておきますね。
私のまわりの普通
- 香典を受付でわたす
- 引き換えに、香典返しを受付でもらう
旦那のまわりの普通
- 香典を受付で渡す
- 後日、郵送で香典返しがくる
まぁ、ちゃんとやり取りができたならそれでokと思ってます。
喪主がお経を読むことも
通夜と告別式は御堂師がお経をあげました。
火葬場から帰還後、再度斎場に集まるのですか、その時のお経は喪主(創価学会会員の祖父)が読みました。
坊主以外のたくさんの人がお経を読むので、もう驚きはしません。
友人葬は気持ちを大切にする
私が独自に公式ホームページで調べたものです。
書いてることは、めっちゃいいですよ。
気持ちファースト。
本当にその通りに見送れたならよかったなぁとは思いますが、どんな葬式でも皆んなが一丸となって気持ちを捧げる、なんてことはありえないでしょう。
ただ、理念としては高い金をかけるよりも気持ちが大切。という根本的なところはすごくいいなと思いました。
やっぱり御堂師の話がなければ、もう少しマシだったなぁとは思いますがね(笑)
正しいとか置いておいて、自分が正しいと思うことをやったんなら、いいではないかと思っちゃいます。
最後に
旦那もわたしも、初めて創価学会の葬式に参加しましたが、特に気持ち悪いとも異様だとも感じませんでした。
創価学会だから、というものよりも、個人のモラルの無さの方が目につきましたね。
類は友を呼ぶと言います。
亡くなった祖母も、それはそれはモラルのカケラも…
んん゛!!
口を慎みますね。
まぁ、亡くなった祖母も他の葬式では似たようなことをしていたようなので、そういう意味では同じ者が寄った結果なのかなとも思いました。
とりあえず、そんなかんじです。
おわりっ。